ジャコ・パストリアスによろしく【再】

双極性障害と社交不安障害とグレーゾーンのアスペルガー傾向を抱える野良サウンドマンの徒然であります。

情報のインプットと脳のバッファオーバーフローのその先。レッツぼんやり!

こんばんは。

 

久しぶりの更新になります。

台風来てますね。お気を付けなすってください(変)

 

さてもさても(これも変)、更新が滞っている理由の一つとして真面目に勉強しているせいもあろうかと感じる昨今です。実は表題と関係あります。

 

「真面目に勉強している」ったって、健常者の方(あまり好きな表現ではありませんがあえて)に比べたら至って短い集中力しか保てないのが実情のようです。

それでも普通免許の学科や日商簿記3級のテキストが全くと言っていいほど脳に定着しなかった数年前と比べると格段の進化であります。

もちろん学んでいる領域がのっぴきならないほどの意志の元、興味目標の対象であることもあります。

 

で。

 

ここ1年半年に渡ってのリカバリーについては生活改善やパッシブな情報享受にとどまっていたのですけど、俄然能動的に学習を始めると変化が起こり始めました。

 

その1。生活改善の一環として歩行、ラジオ体操、ダンスなどを周期的に行う習慣を身に着ける中でタンパク質を多くとるようになり、そこで筋肉が増強されることになります。

その2。強力な能動的意志に基づいて学習習慣が身についたことにより、そちら側の脳機能が活性したこともあり糖分を欲する傾向がみられるようになります。

結果として、お米を習慣的に食べるようになったことと、ミルクコーヒーを多く摂取するようになりました。最近は高くない野菜なら調理も厭わず積極的に採る次第です。

この辺までは身体的というかフィジカルなケミストリーと言えます。

これだけでも十分にワンダーなことだと感じていますけども。

 

そして表題について。

往々にして忘れがちですが、脳も臓器の一つであります。

まあ、多くの精神疾患と呼ばれるものは脳・神経の何らかの機能不全ということが現在の医学では認められていますがその多くは解明の途上であることは周知のことです。

そこはさておき、臓器である以上一定の機能のキャパシティがあります。

簡単な例を挙げますと、食べ過ぎれば胃腸が無理をします。

呑みすぎれば肝臓が無理をします。

情報が多いと脳が無理をします。

ということに、身を以て気が付きました。

 

私に何が起こっているかを具体的に申し上げます。

ここしばらく私は生活リズムを安定させる目的もあり、多くの時間テレビを視聴することに裂いておりました。

しかし、本域で学習を継続してきた結果何が起こっているかというと、そのテレビの視聴の密度に耐えられなくなってきました。

 

ここで私は表題のことを考えた訳です。

学習によるインプットで処理能と容量が圧迫され始めた、と。

や、結果いいことなんですけどね。

 

一日、勉強だけした日のことです。

この暑い中帰ってきて、いつもなら空かさずテレビをオンするのにそんな気にもなれずに30分ばかり「ぼー」としていました。

そんな折しも私が定期視聴している樺沢紫苑ドクターのYOUTUBE動画で知った

「デフォルトモード・ネットワーク」

という言葉ですが、なんかかっこよさげだけど実際にすることは

「ぼーっとすること」

だそうです。

 

簡単に言いますと、寝るって訳でもないけどぼーっとしてる間に脳のバックグラウンド(無意識)でその前までに入力された情報を整理しているモードだそう。

いやあ、コンピュータに例えることがこれほど判りやすいとは前職の因果かもしれませんね(笑)

 

YOUTUBE動画はこちら。

www.youtube.com

 

もっと興味のある方はググってたもーれ(これもなんか変)

 

ああ、デフォルトモードに入っているのでしょうか。

不注意に文章をしたためると、変なことになりますね。

 

皆様、ご自愛を。

ちゃお。

 

 

 

 

 

 

 

ハンソロとチューバッカの関係にみるコミュニケーションのヒント。

こんにちは。

 

夏至も過ぎて数日です。とはいえ梅雨です。

地震も心配です。気を揉む方も多いと思います。

お大事になさってください。

 

かく言う私は存外安定しております。

継続は力ですし、日々に発見はあります。

どん底から這い上がることもあります。

変化だけは確実です。

 

さて、表題。

宇宙は広いですねえ。エイリアンもいるかも知れません。いやいると言い張ってはばからない人も結構います。

一方、世間は狭いと言いますが、国籍、民族のみならず国内においても地域、歴史、文化など、もっと言えば個々人の違いも。ここまできたら皆まで言いません。

いろんな意味での「異なる存在」とのコミュニケーションのことです。

 

よく採用要綱や募集基準に、募集する側の要望として

「コミュニケーション能力がある方」

とありますが、そこをこの例で考えてみたいと。

 

まずはチューバッカという存在の背景とその魅力について述べられているサイトをご紹介します。

castel.jp

まあ、スターウォーズお好きな方には説明不要かと思われます。

 

その上でポイントだけいくつか。

・チューバッカの出身であるウーキー族は割と判りやすく差別や偏見の対象である。

・だが、ウーキー族の能力や心性はその偏見では測れない特性を持っている。

自活主義や機械に強いインテリジェンスなど。

・奴隷扱いだったチューバッカを救ったハンソロと彼との信頼関係。

・ソロは多言語を理解している。そしてチューバッカも理解しているしルークやレイヤともコミュニケーションはとれている。ただしチューイはウーキー語しか発語できない。

 

さて、あなたはこの状況設定だけでもどんな景色が見えてきますか?

もちろんスターウォーズの世界ではなくて、あなたの身近で。

 

そもそもコミュニケーション能力って、相手に要求するものですかね?

どの立場でどの口が言うのか知りませんけど、それは怠慢な気がします。

 

もちろん社会に漕ぎ出していくには、一定の作法が必要なことはあるでしょう。

ただ「自分たちの文法や話法に合わせろ」というのがそれであれば、少し残念な気がしませんか?

信頼て、気は心じゃないのかしらん。

 

お・も・て・な・し」なんて、あれは滝川クリステルさんの口からだからまだ一定の説得力を持っている気がするし、それを滝クリさんに言わせるのもなんだかずるい気がします。

 

あなたの身近にチューバッカみたいなバディはいますか?

私はどうだろう、、

 

チャオ。

 

メンタルケア心理士(R)の学習を開始します。

こんにちは。

いよいよ梅雨に突入しましたね。

今日はオフ日であります。買い物だけしてそこそこに在宅。

 

久しぶりの書き込みになります。

毎日の学びもさることながら、最近ピア関連の考察や情報収集などに取り組んでいることもあり、立ち止まって駄文をしたためる余裕もなく、です。

 

さて掲題の件につきまして。

皆様、あまり耳にしたことがない資格かと思います。実は私自身も最近認識したと言ってもいいところです。不勉強スマソ。

 

現在、心理学系の認定資格というのは各種学校NPO、任意団体までも含めると物凄い乱立ぶりで何が何やらな状態なのが実情なところ、これまで最も実行上条件や難易度が高い資格としては臨床心理士がありましたが、これですら国家資格ではない認定資格なことをつい最近意識したくらいです。「え?そうだったの?」って思うよね。

そこでようやく重い腰を上げた厚生労働省文部科学省とともに制定した国家資格としての心理職資格が「公認心理師」という資格になります。

(なぜわざわざ「師」と表記するのか気になりますが…)

www.mhlw.go.jp

 

一方で、あまりに心理職の公的認定資格が広まらないことからか、内閣府主導の外郭団体として立ち上がった

日本学術会議協力学術協力団体 メンタルケア学術学会」

という名のおよそ一発で覚えられそうにない舌をかみそうな早口言葉団体がありまして、寿限無か、みたいな(笑)

かつ各種団体が関係する実にややこしそうな位置づけの資格が、

「メンタルケア心理士」と「メンタルケア心理専門士」というものになります。

 

この資格も国家資格ではなく認定資格にあたるのですけど、大きな違いは

「当協会の資格は平成20年からスタートした国の
職業能力資格証明制度=ジョブカードに記載できる資格です。」

という特徴があり、その背景故に(R)、俗にいう登録商標マークが使用できる点です。

www.medin.gr.jp

 

各種資格試験を試みて3つも失敗してきた私が、あえてこの資格を目指そうとおもったのは、今回ばかりはどうしてもここを押さえておきたいという思いと、かつこの資格に要する範囲が今まで自分が経験してきたこととかなり差分がないこと、また資格取得に要する期間費用が暮らしを切り詰めればなんとか履修可能な条件であること、でした。

まだ教材すら届いていない状況にも関わらず、学習を始めることがこれほど心待ちなことは学生時代のどの授業より強いという、非常に自分でもびっくりするくらいの感覚にあります。

 

資格がすべてではないと常々思っていましたが、その反面資格がないと認められないことへのコンプレックスがあったことも事実です。

でも今回に関しては

「本当に頭に入れておきたいことを学びたい」

という気持ちが強いのです。

 

人は進化するものです。自分でも驚きます。

 

ちゃお。

 

 

 

 

「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」。

こんばんは。

 

暑かったですね。

もう夏だとだまし討ちのように思わせてやがて梅雨が来ます。

なんでも自律神経が24時間体制で体温調節にあたるエネルギーは並々ならぬものだそうで、気温の上下はそれだけでも身体や神経に与えるストレスが甚大だそうです。

皆様、なにとぞご自愛のほどを。

 

さて、表題です。

1970年代のフォークロックに明るい方はピンとくるかもしれませんね。

ジャックスという「日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と評された伝説のバンドの中心人物、早川義夫さんのアルバムタイトルです。

 

かっこいいこと、かっこ悪いこと。

かっこよくありたい私、かっこ悪い私。

 

私事になりますが、子供のころからビビりのくせに目立ちたがりの自慢したがりで、

ガキの頃はよく転校先のジャイアンや上級生に目をつけられてシメられたものでした。

で、へこむくらいで済んでたからいいものの。

で、思春期になるとその反動で自分の居場所を自分で模索し始めます。

「反主流派」の旗印のもとに(笑)

でも、社会にでるとやっぱり「当たり前のルール」っちゅうのに困惑する訳で。

 

私の元主治医のドクターの説明になる名言として

「引っ込み思案の目立ちたがり」

というのがありまして、双極性障害を主診断とする人の多くにSAD(社会不安障害)を併発する道筋がそこにあるようです。

そしてマルチティビティの観点から考えると、そこに更に発達障害の傾向が乗っかってくると結構ややこしくはなる訳です。

 

なんだか、結びめいた言葉の方が先に来てしまいましたけど、感じていることは以下の通りです。

 

上記に述べたことと矛盾する部分もあるかも、ですけど、一般的ルールに違和感を感じている方々が何も揃いもそろって無茶苦茶反抗的な手に出る訳でもなく、むしろ学校でハンコ押された時の基準にあらがえない気持ちのままの人も多いのではないかと感じるのです。

 

なんか持って回った言い方になっておりますが、例えば、音楽や美術・アートやスポーツ・運動・ダンスみたいな「表現行為」についてのコンプレックス。

 

縁あっていろんなセラピーに接する機会がありましたけども、私自身もアートは好きだけど創作するのは苦手意識は正直ありましたし。

だから、なんだろう。

例えば、リハビリや訓練のプログラムにおいてもそういう「腰の引ける苦手意識」の源泉の一つとして、例えば学校教育の場で認められなかったとか(具体的に言えば「基準を満たせない」「笑われた」「出来ないと恥ずかしい」とか)あったろうと想像するのです。

 

そして表題なんですが、

そんなできない自分は実に「かっこ悪い」と思い込む。

でもさあ。

これ、実はいくつもの面あるんだと考えるんです。

 

例えば「かっこいいと『されていること』を踏襲できないあるいはそのかっこよさを理解できない自分はかっこ悪いのではないか」

そういう方向性は自信のなさ、突破することを放棄する発想かもしれません。

 

でも、それっても自意識の問題ですよね?

 

いろんな言い方を試みるならば、

「かっこつけること自体はかっこいい」とか

「かっこつけようとすること自体がかっこ悪い」とか

「人からかっこ悪いと思われようが自分の目指すものはかっこいい」とか

いろいろあるでしょ。

 

間入って言いますが、音楽にせよアートにせよ舞踊にせよ、リハビリやトレーニングやメンテナンスにおいてかなり実行力を伴うポテンシャルのある分野であることは実績において否定できないことは一定の認識のある方々には周知と思われます。

認知能力の向上であるとか、機能回復であるとか。

だけど残念なことに、当事者のステレオタイプが邪魔をする場合がある。

 

確かに人の押しつけなんて御免こうむるのは私も同意。

でもさ、なんかやっぱり物凄くもったいない気がしてさ。

 

無理くり同意を求める同調圧力なんて唾棄したい、けど。

どうやったら「かっこ悪くてもいいんだ」という気持ちを届けられるのだろうか、

ということを物凄く考えています。

 

早川義夫さんの同名タイトルアルバムの中から名曲をひとつ。

www.youtube.com

 

かっこよくあろうとすることは、意欲につながるかもしれない。

とはいえ、人には得意も不得意もあるからかっこ悪く感じるシーンもあるかもしれん。

だけど、誰にもそれを断じるには値しない。

臆病になるかもしれない。だけど一歩ふみだせば見える景色は激変するかもしれん。

それは人に言われたから、じゃなくて自分の決意でしか実現できないけど。

 

かっこ悪い自分の決意ができたら、きっともっと生きやすくなる。

そういうヤツこそ、真面クールで「かっこいい」んじゃないのか?

なんか矛盾いっぱいだけど(笑)

 

チャオ。

 

 

 

 

 

 

 

私の2年前の「心理検査の結果」全文。怖いよ?

こんばん、わ?

 

日が長くなったし、今日なんかどう感じても夏でしたよね?ね?

 

てなことで。

 

えとですね。今日は表題の通りのこと。色々必要があって書類を掘り起こしていたら発見したその物件を全編「書き起こして」見ようと思います。

心してご覧いただければ。

 

行くよ?

 

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○心理検査の結果について

 

先日は、その人の得意・不得意な分野を調べる能力の検査を受けていただきました。その結果は以下のようになります。

 

☆能力(機能)検査(平成28年2月12日 施行)

 今回は様々な能力の発揮について調べる検査を受けていただきましたが、あなたは現状それぞれの能力ごとで力の発揮に差が生じている、ムラが出やすくなっている面が目立ちました。

 元々、言葉を使って物事を理解する力、言葉の意味を理解して日常生活の力は高い水準で保たれています。知的な側面で物事を理解することが得意で、学習経験の高さも伺えます。

 一方で、注意・集中力には非常にムラが生じやすい面が目立っていました。耳から取り入れた情報を頭の中にとどめておく力が低下していることによって、情報の聞き漏らしや、頭の中で考えがまとまりにくいと感じることが多いのではないかと思われます。一方で、その力が非常に強く発揮される傾向もみられました。このことからは過集中の状態になりやすい面ももっていることが考えられ、結果的外界からの刺激に対して非常に敏感になり、不安や緊張感が高まりやすいことにつながるのではないかと思われます。

 また、物事の要点をつかむことがやや苦手であったり、ポイントを掴んで周囲と足並みをそろえて考えを整理すること、優先順位を素早く判断して臨機応変に対応すること、が苦手になりやすい傾向も見られました。作業内容が具体的であったり、指示が明確で具体的に与えられる環境の方が適応しやすく、一度にたくさんの指示や情報が提供される環境であると、考えが混乱することで緊張感が増し、その環境を回避したいという欲求が高まりやすいのではないかと思われます。

 手先の動作で課題をこなす力に関しては、手の震えが大きく生じていることによって、作業効率が低下しやすい傾向が目立っていました。頭の中で計画を立てたり、情報を整理する力は保たれていますので、自分の考えを素早く手先でアウトプットできない、と支障を感じやすい状態と思われます。また、計画として想定したことも実際には行動に移してみるとスムーズに移行することが難しく、疲労感が増しやすかったり自分自身への自信の持てなさにつながっていってしまう面もあるでしょう。

 ただ、ほかの課題内容に集中している時には、手の震えが治まっている面も見られました。手先を動かすということに意識が向くと過度に震えが生じてしまうことが考えられます。「何か行動したり、作業したりする」=「緊張している」=「手先に注目してしまい手が震える」という自動的な構図が成り立っており、緊張を回避するための行動として生じてしまっている部分があるのかもしれません。震えないときもある、大丈夫な時もある、という部分にもしっかりと目を向けなgら日常生活をこなしていって、自分に自信をつけていくことが重要であると思われます。

 

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以上、長くなりましたが全文掲載です。

当たり前ですけども臨床心理士の先生の名前は割愛。

 

なんといえばいいですかね。

私、実は結構前から突然「手が動かなくなる」って事態はあったんです。

内緒にしてたわけじゃないけど、ベース弾いてる頃から、自分出だしの曲で始められなかったり、DJやっててもまともに手が動かない事態があったり。

でも、そのころは看過してました。

 

ただ、この心理士の先生の見立てによるとそこをフォーカスして見てるので紐付されちゃってます。

プロの仕事の凄いところは、そういうことだなあと。

 

「そこしか見ないから見えること」

これね。

現象面だけ見れば全然情緒関係ないけど、そこまでたどり着いてますし。

 

ちなみに言っておきますけど、今はかつてほど酷くないと自分では感じてます。

明らかにストレス要因が軽減されています。これ、かなり重要です。

いやね。生きていく上で。

人生とは、とか言うでしょ?それはストレスとは何か、との6割分くらいで語ってもいいかもと思う気持ちアリアリです。今の私は。

 

かなり生々しい自己開示になりましたけども、何かの参考にでもなればと思いまして掲載させていただきました。

 

犯人捜しばかりしても、結果は変わりませんけど、ちょっとした解決のヒントにはなりますし、意外と「あー!」って面白い発見もあるということ。

チャオ。

WRAPにおける「権利擁護」の認識について。またジェンダー格差について。

こんばんは。

 

冬戻りかと思うくらい寒いですね。ご自愛ください。

 

さて本題。

今回はWRAPについての説明は極力省きます。

WRAP(Wellness Recovery Action Plan)はアメリカ由来の疫学的実績に基づいて起こった運動と言え、治療でもセラピーでもなく、ワークショップに近いものだと言っていいかと思います。

日本に輸入されたのは十数年前に福岡の大学の先生でしたか。

当てられた和訳の「元気回復行動プラン」という名称は、親しみを意識したものかも知れませんけど、個人的には違和感を感じるところです。

 

で、このWRAPにおいて軸となるのは「元気に役立つ道具箱」を作ることと、クライシスプランと言って自分のヤバイ状態をまとめて、最終的に自分が選んだサポーターに頼るセーフティネットを確保しよう、というものですが、ハッキリ言って手法は決まってないようであります。

 

ただ、どんな手法を取るファシリテーターにせよ絶対に外せない5つのキーコンセプトというものがあります。

・希望の感覚

・自分が主体となること(自分の責任)

・学び

・自分の権利擁護をする

・サポート

これらを押さえた上で取り組むことが肝となります。

みなさん、という自分もそうでしたけれど改めて考えると深い問題で悩むんですよねえ…

 

このキーワードだけだとかなり漠然としてますけど、このメソッドがアメリカ由来であることを思い出すと、なーんとなく「ふふーん」と感じる向きもあるかも、と。

 

で、一番ピンとき辛いキーワードが「権利擁護」なんだね。と、いろんなワークに参加するにつけ感じることです。

 

多分ですけど、戦後?現代日本においての「権利」という考え方が、何らかの主張を持って得られるものと感じた人かそうでないかでかなり感覚の差がある、という実感です。

 

日本に於いたって古くは様々な権利は闘争の基に勝ち得られてきた歴史がありましたが、実際には権利というより「与えられたもの」とか「当たり前のこと」と感じていることが如何に多いかということでした。

 

だからこそ「改めて考えさせられました」という方が非常に多いこと。

そう思うとそれだけでも日本でWRAPのセッションをして、権利を問い直す意味は大きいのかとも感じます。

 

今しがた放送大学ジェンダーの違いに於けるメンタル問題を扱った番組を観ていましたが、結構多角的な方面から分析されていました。

育成環境、社会的役割、生理学的特長、加齢によるそれらの様々な変化。

 

表題の2つのテーマを結びつけるには論文レベルになりそうなので、小生ごときは遠慮いたしますけれど、ジェンダーとメンタルに表出する問題は回を譲ってまとめられればと考えています。

余談的になりますけど、小さいとき「男の子だから女の子だから」から始まってそれからの生理的変化、専業主婦かキャリア志向かの社会的役割、限界や挫折、さらに経年に伴う社会的生理的変化、様々ありますが、それぞれジェンダーにまつわる差はやはり無視できない、とは言えます。

漠然とした情報でかえって申し訳ないけど、同じ疾患でも女性の方が発症を認識される割合が高い一方、男性の方が自殺率が高いというのも一つの性差とも言えるかもしれません。難しい問題ではあります。

 

なんだかガチゴチな話になってしまって、恐縮です。

オマケのYOUTUBEミュージックをつける余裕もなく。

 

意外とマジメにかんがえてるんですよ?私も。

 

チャオ。

 

 

 

 

「カワイイあの娘」と距離感と同調圧力。

こんばんは。

 

※本記事はある個人的な思いのもと本文をバッサリと削除いたしますが、タイトルにてご想像にお任せいたします由、お願い申し上げます。

まあ今時ヲチられてもないブログを魚拓とかいうこともないし、別にそういった理由から編集というより極めて個人的な想いにおいてなので。

繊細な個人の想いのこと、とだけ申し上げておきます。

 

 

www.youtube.com

 

チャオ。

 

※()で括って省略した部分はコンプライアンスです。あしからず。