ジャコ・パストリアスによろしく【再】

双極性障害と社交不安障害とグレーゾーンのアスペルガー傾向を抱える野良サウンドマンの徒然であります。

「王様は裸だ!」と叫ぶことと「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶことの違いについて。

こんばんは。

今日は暖かかったらしいですね。明日は寒いらしいですけど。
そして花粉も飛び始めたらしいし、色々大変な季節。
ご機嫌いかがでしょうか?

表題ですが、別に何かにあてつけてる訳じゃないので何卒邪推しないようにね!
大方の皆さんはどちらもご存じの童話と思われますので、物語そのものの説明は割愛いたします。

現代はインターネッツ社会だねえ、なんてしばしば申し上げております。
で、みんながみんな言いたいことを言える世の中になりました。
「不用意な発言」も含めて。しかも「全世界に向けて」と。
※「全世界に向けて」とは言いますが、個人的には言語の問題も含め誰もかれもが見るとは事実上はないとかんがえてますけども。

ところで「裸の王様」の物語は「王様が騙されて見えない服を着ているらしいことを本当は裸だと暴露する」という一種の権力批判のメタファーでもあったですよね?と私は幼心にも思いましたけど。
でも現代インターネット上で「王様は裸だ!」って叫んだら何が起こるかは私が説明するまでもないと思われます。
そもそもこの物語を現実的にとらえなおしてみると、仮に王様が裸であったにせよ実はそうでなかったにせよ、そう叫んだ少年は激しく罰せられたはずでしょう。
それが主観的価値観や権威的価値というものですね。

インターネット上で実際にあるのも、もちろん賛否があって敵味方が発生して炎上したりいわゆるディス?wの嵐だったりします。
ちょっと端折って、それがどんなに小規模なコミュニティであれそういうことはしばしば起こることになりますし、インターネット上の発言や表現でそれが顕在化しやすいと言うことになる訳ですね。


そして。「王様の耳はロバの耳!」
これは「うっかり観てしまった権力者の秘密を誰にも告げられないが故、誰にも聞かれないところで叫ぶ」という、まったく別な形式で王様自身の身を変えていく話であります。
王様の秘密を知ってしまった床屋の叫びが回りまわって王様の耳に届き王様が改心する訳です。

なんだ、割愛とかいって割と説明してるな。


物凄く簡略化して考えると、衆目の中で糾弾(そこまで強い表現ではなくとも)するのと、自分ではやる方のない悩みが敷衍するのとどちらが伝達方法として有効なのかは断定できませんけれども、なんだかこの差を考えてしまいます。


正直に物申せる社会はそれはそれでいいのかもしれないし、社会の(どんな小さな繋がりでも)ルールとか共通認識とかはあって。
それがるつぼのごとく渦巻いているのが我々が生きている世界なのでしょう。
エヴァンゲリオンでも取り上げられていましたけども「ヤマアラシのジレンマ」という心理学用語もあります。
近ければ近いほど思えば思うほど、その存在を傷つける可能性は大きくなります。

よく「傷つけた」の「傷ついた」の言う機会も多くなったのかも知れませんが、私自身の矜恃としては自分が傷ついたなどとは言いたくないし、今後も言うつもりはないでしょう。

無条件に「みんな仲良く」などとおためごかしは言いませんが、とりあえずは健やかに。


チャオ。