ジャコ・パストリアスによろしく【再】

双極性障害と社交不安障害とグレーゾーンのアスペルガー傾向を抱える野良サウンドマンの徒然であります。

「失敗」という一番の自分を救う薬を受け止めること。

こんばんは。

 

もー寒いんだか暖かいんだかハッキリしないので大変。

 

では。本日。

表題どうしようかと考えた挙句、こういうことにしてみました。

最初に想起したのは「一見普通に見えること」と「自分の判断は間違わない」という思い込みから来る問題を考えてみました。

実はこれ、前後が繋がっていません。

ただ確実なのはこれらを元に生まれるのが誤解や失敗や挫折だったりすることです。

かつ、後者なんかは別に精神疾患に限ったことではないとも言えます。

 

最近感じるのは失敗というのが一番の学びの機会だなー、ということです。

スチャダラ兄のライムにありましたが

「間違ってるけど間違いないのか 正しいけどちがーうのか」

という名フレーズが思い出されまして、「自分の判断は間違わない」という思い込みを誰かに否定されるというより「失敗」と受け止めるのは主観でもあったりして、結果論だからですかね。

 

で前後しますけど「一見普通に見えること」というのも後者の「自分大丈夫、やれる感」を錯覚させる一因でもある非常に厄介なものであることです。

精神疾患などでは寛解などという「わし、もうよくなったよーん」的な表現がありますけれど、何故「完治」という言葉を使わないのかを忘れてはならんのです。

要はコントロールをし続けることでなんとか保ってることなのだから。

 

その上で自覚と学び「続けること」が重要になるようです。

人から言われたってダメなんですよね。自分が腑に落ちない限り。

そこで一番効く薬が皮肉にも残酷にも「失敗」なのではないかと。

確かにその失敗が巻き起こした事態で回収不能なものもあるでしょう。だからこそ一番の薬になるのだと痛み入るのです。

 

原理原則としては、ここは病気だ障害だ健常だとか関係ない普遍的なことかと考えます。

 

大丈夫。命までは取られません。

だからもしですけれども希死念慮とか自殺願望とか自傷とか考えるような方がこれを読んでいるとしたら、どんなに自分がみじめで情けなくて不甲斐なくて価値がないと思っても、自分を責めすぎないテクを身に着けるトレーニングをしてください。

もちろん多少の反省は薬の効能です。

最近私が良く使うのは「反省はするけど後悔はしない」。

やっちまったもんは仕方ないし、それはそれとして。

例えば相手があることだったとしても、その相手を責めても無益なことです。

とは言え何も菩薩になろうって話じゃあありませんよ。

もちろん人間だから感情がある。

でもいいじゃないですか、それで。

 

合うも合わんも、沿うも沿わんも縁ですよ。

 

確かに致命的な失敗はある意味劇薬なので、解毒剤を用意しましょう。

 

改めて言います。命までは取られないから。

英語の諺に"Misfortunes never come singly."とありますが、日本語の諺を無理やりあてると「二度あることは三度ある」とか「泣きっ面に蜂」とかありますけど、ちょっとしっくり来なくて。

直訳すれば「不幸は単独では来ないよ(悪いことは立て続けに起こる)」なんでしょうけれど、だとすればその逆のシーケンスが容易に反証としてあるよね、って考えるからです。

連鎖反応っちゅうんでしょうか?

そういう意味ではスイッチの切り替えは価値観次第だとも言うことができますよね?

 

失敗に気づけるって、良くなくなくない?じゃないですか?

 

近場の失敗でも味噌にでも漬け込んでおけば、数年後はいい酒の肴になるかも知れんで。

 

チャオ。